2024.12.23
2025年新春対談(阿部千春先生×荒川裕生代表)
2021年(令和4)年7月27日、長年の悲願だった北海道・北東北の縄文遺跡群の世界文化遺産登録が実現しました。年が明け、この夏で4年目を迎えますが、改めてこれまでを振り返り、今後に向けた課題や期待などについて、北の縄文道民会議 荒川裕生代表と阿部千春専門アドバイザーのお二人に語っていただきました。
この対談の一部は、北の縄文道民会議の会報「北の縄文VOL.34 2025年冬号」に掲載しました。
荒川裕生
北の縄文道民会議 代表
阿部千春
道庁縄文世界遺産推進室 特別研究員
北の縄文道民会議 特別アドバイザー
1.縄文文化の普及に取り組んだ当時を振り返って
【荒川】最初のきっかけは、2003(平成15)年の北海道・北東北の知事サミットで、当時の堀知事が「北の縄文文化回廊づくり」を提案されたことでした。背景としては、1万年続いた世界でも稀な文化がこの地域に存在したということ。また当時は三内丸山遺跡の発見で「縄文」に注目が集まり、日本列島の北の地域がいわゆる辺境の地ではなく、実は文化の中心の一つであったというアイデンティティティーを確認し、発信することに意義があるのではないか、という認識があったと記憶しています。
【阿部】そうですね。私も1989(平成元)年に南茅部町に赴任するまでは、縄文というよりも発掘調査自体が好きという感じでした。ところが大船遺跡の発掘などを通して、北海道は歴史が浅いと思われているけれど、1万年以上続く重要な歴史があるということを知ってもらいたいと思うようになりました。それと、垣ノ島B遺跡の発掘調査で足形付土版に出会い、人類がもつ根源的な愛というか、当時の人々の気持ちを伝えていくことも大切だなと。また、こうした精神性は世界に発信しても通じると思いました。そんな頃、「北の縄文文化回廊づくり」を北海道が進めてくれて、そのアクションプランに「世界遺産を視野に入れ」という一言が入ったんですね。
【荒川】縄文文化回廊づくりについては、当初、世界遺産というキーワードは入っていませんでしたが、具体的なプランが議題となった知事サミット会議の席上、「世界遺産を目指そう」ということで合意したという経過があります。
【阿部】縄文文化の普及に取り組み始めた頃、各市町で遺跡の発掘調査に携わっている人たちの多くは、組織の中ではマイナーな存在でした。それで、縄文を広めていくためには、経済界も含めて道民と専門家の交流の場が必要だということで、この道民会議の前身となる「北の縄文文化を発信する会」が立ち上った。これは私たちにとっては非常に大きくて、ようやく日の当たる場所に出てきたぞ、という感じで嬉しかったです。
【荒川】北海道内でいうと、大きな弾みとなったのはカックウが国宝になったことだと思います。カックウの育ての親である阿部先生は、ずっとその価値や意味を分かっておられたでしょうが、やはり、カックウが秘めている力はすごいですね。
【阿部】世界遺産は不動産に限られるので、カックウ自体が世界遺産になったわけではないのですが、カックウは北海道と縄文文化の象徴としてG8洞爺湖サミット会場に出展されましたし、今も親善大使のような役割を果たしてくれていると思います。
【荒川】確かに世界遺産は不動産に限られますけれど、特に縄文の場合は、資産が地下にあって直接見えないので、動産である遺物によって補いながら、その価値を説明して理解してもらうことが欠かせないと思います。
2.世界遺産登録で何が大変だったか?
【荒川】世界遺産になるまでは長い道のりでしたが、阿部先生にとっては、何が大変でしたか?
【阿部】世界遺産登録が簡単じゃないことは分かっていました。困難でも夢があるから挑戦したわけです。しかし、思わぬところに落とし穴というか壁がありました。しかも2つも。
一つは「縄文は遅れた文化」というイメージの払拭です。でも、世界最古の土器の発明や、ヒスイの加工と交易のように縄文の優れた点を強調すればするほど、世界の文明との物質的な優劣の比較になり、そうすると本来の縄文文化の重要性とかけ離れていくというジレンマがありました。
もう一つは、縄文が1万年続いたということは、イコール「停滞した文化」という見方もあり、それをなぜ日本は発信するのか?という意見もあって、これをクリアするのも大変でした。そこで縄文時代の定住を「開始・発展・成熟」と説明したわけです。これは発展思考の人たちを説得するためで、世界遺産の推薦書では、気候変動に合わせて生活のあり方を柔軟に変え、精神文化を精緻にしていく過程がストーリーになっています。農耕社会以降、私たちは自然を人間に適応させようとしてきましたが、縄文は自然に人間を適応させていった歴史であることを示したわけです。これは、これからの社会のあり方に対しての一つの提言になると思っています。
【荒川】17の構成資産を年代ごとに配置して1万年の歴史を語るストーリーは見事なもので、よくまとめ上げたものだと本当に感心します。
一般的には、気候変動で食糧が不足すると、部族間の争いなどにつながりがちですが、縄文時代には、一部にはあったかもしれませんが、いわゆる戦争的なものがあったという痕跡がない。その価値は大きいですよね。
【阿部】:そうですね。農耕社会のように土地を所有し、固定化しないので、環境変化に合わせて比較的容易に動けたことが背景にあると思います。集落を構成する機能には、居住、貯蔵、廃棄、墓域、祭祀などがありますが、それらを気候変動に合わせて集約したり、分散したり、集落の構造を自在に変えながら暮らしを存続させた点がポイントです。なので「変化させずに維持する」という意味の「サスティナブル」という言葉は世界遺産の推薦書では使っていません。実態としては、環境変化に柔軟に対応するという「レジリエント」が近いからです。
【荒川】:「停滞」を別な側面から見ると「持続」ということになると思うのですが、ユネスコに提出する英文の推薦書では「サスティナブル」という言葉をあえて使わなかったということなのですね。
結果として、10年以上の長い時間をかけて世界遺産登録を実現したわけですけれど、諦めかけたことはないですか?
【阿部】:いや、やるべき事は見えていましたし、諦めかけたことはなかったですね。縄文は発展思考ではなくて循環思考。そこに価値があることはいつか通じると信じていました。ただ、発展思考の人たちにどうやったら説明できるか、ということには苦労しました。
【荒川】:私は、先ほど話題に出た「北の縄文文化を発信する会」の立ち上げに関わったりしましたが、世界遺産登録に向けた道の取組みに直接関わることはありませんでした。ですから一貫して関わっていただいた阿部先生に改めて敬意を表したいと思います。また、時々の知事さん、担当された副知事や部長、歴代の縄文世界遺産推進室長など道の職員、残念ながら登録を見ることなく亡くなった元埋蔵文化センター常務理事の畑宏明さんなど、関係された皆さんの世界遺産への強い思い、ご尽力には本当に頭が下がります。
【阿部】:そうですね。そうした諸先輩たちに囲まれながら活動できたことは幸せでした。
3.世界遺産登録で何が変わったか?
【荒川】:世界遺産登録後、どのような変化がありましたか。
【阿部】:世界遺産に登録されると、急激に来訪者が増える、中でもインバウンドが増えるのが一般的な特徴なのですが、登録された時はコロナで行動を自粛している時期でしたので、それほど大きな伸びはなかった。ちょっと残念ではありましたが、同時に良かったと思っています。なぜかというと、受け入れ体制がまだできていなかったからです。そういう中で、いきなり大勢の来訪者が来ても十分な対応ができませんし、それが不満となって、今は口コミとか SNSなんかでパッと広まってしまいます。ですから、その準備のための時間ができたというところが良かったかなと思っています。
登録から2年経った一昨年、北海道博物館で「北の縄文世界と国宝」展を開催しましたが、当初の目標3万人を超える4万3千人の入館者があり、グッズもかなりの売り上げでした。世界遺産効果を感じましたね。
【荒川】:北海道博物館の特別展には、私も何度も足を運びましたが、驚いたのは外国の方、特に欧米の方が多くて、子どもたちを連れたファミリーの多さが目につきました。かつて大英博物館で土偶展が行われたということもあり、縄文文化やアイヌ文化への関心は国内よりも高いのではないでしょうか。
【阿部】:そうですね。それとユネスコの世界遺産になったということが、特に欧米の人たちにとってはインパクトがあったのだろうと思います。
【荒川】:世界遺産は人類の宝ですから、そういう動きが出てきつつあるんでしょうね。そうなるとそれにふさわしい受け入れ体制をつくっていくことが課題ですね。
【阿部】:まさに、そこがこれからの課題です。今までは個々の遺跡の魅力を発信することに対して、ボランティアガイドさんや市町も頑張ってきましたが、これからはシリアル・ノミネーションとして1万年間の気候変動に沿った生活のあり方と精神文化の変遷を一つのストーリーとして語っていくわけです。そのストーリーは映画や舞台のシナリオと同じ。舞台背景は縄文時代の環境変化、各遺跡はその時の生活を演じる役者さん。だから、それぞれの役者さんがその役割に沿った発信をしないと全体の価値が伝わらないのです。ここが課題だと思います。
もう一つは、世界遺産になると国内のお客さんだけでなく海外、特に欧米の人たちが訪れるようになります。先日もアドベンチャートラベルのコンテンツを探してアメリカの個人旅行をアレンジしている会社の代表が来て打合せをしたのですが、まさに本物志向なんですよね。今まで、私たちは小学生とか中学生にも分かりやすい体験を用意してきましたが、これからは、なぜ自分がこの体験をするのか? この体験の意味は何か? という問いに応えられるレベルに上げていく必要があります。
【荒川】:ガイドにもプロフェッショナルが求められるわけですね。
【阿部】:そうです。インタープリターでありながら、エンターテイナーでもあることが求められるのです。
これを地元ボランティアさんにだけ任せるのは無理があります。でも 一方で、昨年のATWS(アドベンチャートラベルワールドサミット)の結果を見ても、満足度には「いかに地元の人たちと触れ合ったか」ということが大きく影響します。ここをきちんと解決していかなければならない。ガイドの難易度が高いから、スルーガイドとしてプロの人を雇って対応するだけではダメ。いかに地元の人たちと関わったかというところが満足度に跳ね返ってきますから、スルーガイドとは別に、地元じゃないと話せない、レジェンドのような人が必要となります。地元の四季折々のこと、例えば、いま海では何がとれているとか、この植物はこう使えるとか、自分がここで発掘したときはこうだったとか、そこで暮らしたり経験したりした人じゃないと話せないこと、そこに価値をつけて、オプションとして組み合わせる工夫が必要になってくると思っています。
【荒川】:全体のストーリーをどの地域も共通に理解して、説明もできて、その上でそれぞれの魅力を発信していくということですね。
【阿部】:そのとおりです。メインストーリーは「1万年の気候変動とそれに適応しながら暮らした人間の生活と精神文化」です。それとは別に、メインストーリーに沿った地域固有のローカルストーリーを作ることが必要になります。例えば、伊達市の北黄金貝塚でしたら、海進・海退があって、そうした気候変動の中で、貝塚の場所が移動することから、人々がどう生活を適応させていったかを語れます。ベースは「気候変動と人類の歴史」です。それに沿った地域固有のローカルストーリーを発信していくわけです。
【荒川】:アドベンチャートラベルについては、ジオの要素も非常に大事ですね。そういう時間軸も必要ではないかと思います。
【阿部】:そうです。地球規模の気候変動で1万6千年前に旧石器時代から縄文時代に変わったわけですが、なぜ日本列島だけ農耕・牧畜がなくても定住が始まったのかというと、背景にあるのは豊かな自然生態系だと思っています。では、なぜ日本列島が生物多様性に恵まれたかですが、私は、地球の表面を覆う「プレートの活動」が背景にあると考えています。日本列島はユーラシアプレート、太平洋プレート、フィリピン海プレート、北米プレートの四つのプレートに囲まれています。これだけ多くのプレートに囲まれている地域は世界でも稀です。これらのプレート活動の圧力により、高い山から低い盆地などの陸地ができます。そして、海は浅瀬から大陸棚、さらに世界有数の深海というように縦方向にすごく距離と変化のある地形が狭いエリアの中にある。陸上の生物は高度によってその生息域が異なりますし、海洋の生物は深度によって生息域が異なります。それが狭いぎゅっとエリアの中にある、これが生物多様性を生んだ背景にあると思っています。
【荒川】:プレート境界には火山もあり、地震や津波などもあって、気候変動にも対応し、自然災害とも向き合ってきたということですね。
【阿部】:そこに日本列島に住む人々独特の自然観ができてきたのだろうと思います。人間が自然をコントロールするのではなく、「人間は自然に生かされている」というような姿勢です。先ほど「時間軸」というお話がありましたが、地球史という長い時間軸で見ることも現代の課題に向き合うには大事なことです。ですからジオも含め、それぞれの地域で自然環境に合わせたローカルストーリーがあると良いですね。例えば函館の場合は、まずプレートの話をした後に、活火山である恵山を見てもらい、温泉にも入ってもらって火山を体感してもらう。それからカヌーで川下りを体験し、縄文の遺跡に行くなど、ジオとの組み合わせは大事です。胆振地域にはジオパークがありますから、ジオとの連携は、これから成功の鍵になると思います。
4.縄文世界遺産の現代的意義と展望
【荒川】:世界遺産には、それにふさわしい価値を示し続けることが求められます。そのような観点から、現代における縄文世界遺産の価値と今後の展望をどのように考えられますか。
【阿部】: よく縄文は「自然との共生」と言われますが、この言葉も推薦書の中では一切使っていません。なぜかというと、「自然との共生」の前提は、自然と人間が別もので、「弱い自然を守っていきましょう」というニュアンスがあるからです。しかし、縄文時代には人間は自然界の中で一番弱い立場にいて、人間以外の動物や植物に支えられて生きている、という感覚があったと考えています。ですから推薦書では、「自然を敬い感謝する」という意味で「ネイチャーワーシップ」という言葉を使いました。貝塚も盛土遺構もゴミ捨て場ではなくて、そこに人の墓を作っているので、これもネイチャーワーシップの現れだと思っています。
【荒川】:よく「地球にやさしい」というフレーズが使われます。私は、自然に対する上から目線を感じるので使わないようにしていますが、「自然との共生」の方は私も結構使っていると思います。しかし、この言葉にも、おっしゃるように「自然と人間は別物」という構図が潜んでいるので、こうした一見良さそうな言葉も、「私たちは地球に生かされている存在である」という当たり前の視点から見直す必要がありますね。それにしても推薦書に記載されている内容は、とても深いですね。
【阿部】:この自然に感謝する、自分が生きるためにもう一つの命をもらっているという感覚は、縄文時代だけではなく、現在の私たちの心の中にもあるんですよね。例えば、「いただきます」という言葉には、食べ物の「命をいただきます」という意味があると言われています。縄文時代も現在もその状況は変わっていません。現代も食べ物は人間以外の動物や植物からもらっているわけです。ただ、その認識は薄れてきているのかもしれません。
今は、食料を買いに行くと、お肉も魚もパックに入っていて、それをお金で買い、最近は電子マネーで買うようになっているので、ますますその実感や感謝の気持ちが薄らいでいるのかと。それが、食品ロスや廃棄などの問題の要因となっているのではないかと思うんですよね。
自分が生きるため、自然から頂いているという感謝の気持ちがあれば、お腹がいっぱいになるだけでなく心も満たされますが、感謝の気持ちがなければ心は満たされない。そこに現代社会が抱える課題の根がある。それを見直していくことが必要だと考えています。
ですから、縄文世界遺産の価値というのは、実はすでに私たちの心の中にあって、それを見つけていく旅、それがこれからの活動のテーマになります。
【荒川】:私たちの心の奥底で見えなくなっているものを改めて発掘する、ということでしょうか。
【阿部】:まさに、その価値を発掘していくということです。それは考古学だけではなく、アートなど他の分野と一緒にやっていくことが大事だと思っています。縄文の価値は目に見えませんから、それを理解するというより、それを感じるということ。遺跡に行っても見えるのは、復元した住居とか穴ぼこだけ。そこに価値があるわけではないのです。画家のパウル・クレーが、「芸術とは見えないものを見えるようにすること」と言っていますが、そこにアートの可能性があると私は思っています。
【荒川】:土偶とは何なのか、現代の私たちは、それに強く惹かれながらも、よく理解できませんし、解明もされていません。おそらく、現代人には見えないものを形にしたんだと思います。縄文人にとってはアートではなかったでしょうが、私たちにとってはアートのようにも感じますね。
【阿部】:受け手にとって何かを感じることが大切ですよね。ちょっと妄想になりますが、アートがこれから大事だと思う理由についてお話ししたいと思います。
18世紀後半から19世紀半ばにイギリスを中心に起こった「産業革命」によって、人間の手仕事が奪われていきました。手仕事が奪われるということは人間の尊厳自体が失われていくことになるので、ウィリアム・モリスが「アーツ&クラフツ運動」を起こして、花や草花の模様をモチーフにして、手仕事の美しさを広めていく活動を展開しました。それは、後のアールヌーボーやウィーン分離派などの芸術活動に展開していくわけですが、ヨーロッパは貴族社会、階級社会ですからそこで止まってしまったわけです。それでもウィリアム・モリスファンは日本でもまだ根強くいますけどね。
そして、20世紀後半から現在は「情報革命」と言われています。人間の脳の記憶という機能を、ハードディスクという外付けの装置に置き換え、最近ではチャットGPTなど、人間の思考や想像力をAIに委ねていく。これは人間が持っている思考や想像力という機能が奪われ、人間の尊敬が失われることに繋がるのではないかと。
産業革命の時はハードの改革で肉体労働が失われていき、現代はソフトの革命で頭脳労働が失われつつある。だから、「21世紀型のアーツ&クラフト運動」を縄文テーマに進めていくことも、一つのチャレンジとして面白いなと思っています。
【荒川】:アートに注目することにまったく同感です。私は、そこにデジタル技術も取り込んで、例えば自分なりの土偶を描く、デザインするようなソフトがあったら面白いのではないかと思います。縄文とデジタルを掛け合わせたアートというのもあり得ますね。
【阿部】:あると思いますね。何をモチーフにして、何を伝えていくかはアーティストと話をしながら進めていかなければならないですね。
それと、芸術の中でもアートとデザインは別ものだと思っています。アートは一つの作品が多くの人を集めたり、高額な商品になったりします。その力は圧倒的ですが、瞬間的な力ともいえます。一方、現在の縄文の活動に何が必要かというと、エンジンを回し続けるガソリンのような「持続可能な運営のための資金」です。なので、先ほどのアーツ&クラフツ運動のように、縄文のメッセージを伝えるデザインをプロダクト化して販売しながら、継続的に収益を得られる形を作ることが必要。この2つを両立させていくことは、これからの課題であろうと考えています。
【荒川】:昨年、私が勤務する大学で縄文世界遺産のことについて授業をやりました。思った以上に学生の反応は良かったのですが、土偶に対する反応が特に良かったんです。そういう感覚を大事にして、若い世代と縄文を繋げていくことは非常に可能性があるんじゃないかと思います。
ところで、今後改めて、4道県の関係、繋がりをどのようにしていくべきか、ということについてお考えはありますか。
【阿部】:世界遺産として認められた「顕著な普遍的価値」であるメインストーリーは4道県の17遺跡で構成されているので、世界に発信していくためには4道県が連携してその価値を発信していかなければなりません。それと同時に、北海道は北海道独自の特徴と道内6つの構成資産がもつローカルストーリーを一つのパッケージとして北海道独自の魅力を発信する。この両方をやっていかなければならないと思います。つまり、ロングレンジとなるメインストーリームの発信と並行して、ミドルレンジとなる北海道のストーリー、ショートレンジとなる地域のストーリーの違いを意識して発信するということです。ちなみに、ローカルストーリーはそのコミュニティが中心になって議論しながら創るところに意味があります。
【荒川】:縄文の魅力の「発信」ということについては、私も「発信する会」の頃から意識し続けてきたんですが、やり方はいろいろありますよね。シンポジウムをやったり、本を出版したりとやってきましたが、発信の手法についてはどうお考えですか。ネットワークの活用ということも必要なのかと思いますが。
【阿部】:縄文の発信が難しいのは、ブランディング手法が通常とは異なるからです。何を、どんなイメージで発信するのかを決めるのがブランディングです。例えば、個別の商品や特定の地域のブランディングは、トップと指示命令系統が決まっているので伝えるべきブランドコンセプトが比較的容易に定めやすい。しかし縄文は、4道県には各自治体がありますし、道民会議のような民間団体のほか個人のプレイヤーも多くいますから、誰が、何をブランドの柱にするのかが定まりません。
そこで、プレイスブランディングという手法を導入するのがよいと私は思っています。つまり、「北海道の縄文」という「架空の場」を設定するということです。北東北の歴史とは異なり、北海道では縄文の後も狩猟・採集の伝統を引き継いだ続縄文文化、オホーツク文化、擦文文化を経てアイヌ文化に続く独自の歴史があります。つまり、より自然と人との関わりが顕著で、その自然はいまも色濃く残されています。その「自然と人との関係を考える場」をブランドコンセプトとし、そこに賛同して集う多くのプレイヤーのネットワークを作ることが大事だと思っています。
ちなみに、コンセプトとは事業を進めるなかで一貫して流れる「新しい価値観」です。「新しい」というのが大事で、新しい価値観だから、社会的な価値のイノベーションに繋がっていく。これを行政と民間で進めていくことが大切です。
【荒川】:そういうことを行政の枠組みだけでなく民間も含めて4道県で意見交換できるような場があるといいですね。
私は、昨年2月に開催した道民会議主催の「縄文冬まつり」に、今後に向けた可能性を感じました。準備・運営には大変な苦労がありましたが、事前には大丈夫かなと思った「ほぼ休憩なしの連続講座」には、立ち見も含めて聴衆が絶えませんでしたし、物販や地域情報発信でも集まれる「場」の持つ力が発揮されたのではないかと思います。
【阿部】:やはり「みんなが集まる」ということは大切で、集まってもらうには楽しくないとダメ。ただ、集まってもらうのが目的ではなく、そこで価値を伝えること。少々難しくても伝えるべき事はちゃんと伝える。そういったことをバランスよく進めいくための事業戦略が必要で、そこにコンセプトメイキングとブランディングがある。そうすると、マーケティングのあり方も見えてくると思っています。
【荒川】:「自然との共生」とか「地球にやさしい」といった表層的な言葉、思考ではなく、もっと深いところ、深層で共感すること、それが先生の言われた「新しさ」ではないかとも思います。縄文の精神文化については、発展ではなく複雑化という表現がされていると思いますが、別な言葉で言うと「深化」であり、懐深くなって、そこには智恵の集積もあったわけですね。そういうものが、今、現代社会において別な形で必要なんだと思います。
【阿部】:そうですね。「自然に感謝」ということは、私たちには当たり前のことで古くからあるけれど、新しい価値として再発見するという感じでしょうか。
それと、前段でお話ししましたが、ヘーゲルの弁証法に代表されるように、世の中の多くは「発展」していくことが良いとされている。しかし、そうではなく「欧米的な発展の思考が優れ、循環的な野生の思考が劣っているのではなく、両者は全く別の価値観によるものである」と言ったのがレヴィストロース。この「循環」の思考に深い知恵と知識があると言っています。まさにそこだと思いますね。
それは単純に縄文の知恵と知識が、より良い社会を作るという単純でパラダイス的な話ではありません。新しい価値観に触れ、自分自身の内面がどう変わっていくか。その内面の変化が、行動にどう反映していくかという積み重ねが大事だと思っています。食料や生活に必要な素材を与えてくれる自然に感謝しながら暮らす10年後の社会と、全く考えずに消費だけをしていく10年後の社会とでは、自ずと違ってくると思います。
私たちはどんな社会を未来に遺していくのか。それが世界遺産登録を機に作成した北海道のキャッチコピー「未来へつづく、一万年ストーリー。」の意味なのです。
【荒川】:最後に、道民会議の役割ということについて、先生のお考えをお聞かせください。
【阿部】:縄文世界遺産の普及、発信、活用には、やはり企業、経済人の方々に支えていただく仕組みが必要だと思っています。また、道民会議は、経済界や議員の皆様などそうそうたる方々で構成されていますから、縄文の価値を共有していただき、広く伝えていっていただければ大きな力となります。また、道民会議は、会員と専門家の交流の場でもあるので、企業、経済界の方々にもっともっと参画していただけるような「縄文を語る会」といった活動があるとよいな、と思っています。
【荒川】:白老町のナチュの森で子ども目線での縄文展を開催されたナチュラルサイエンスさんは縄文に深く共感された東京を本拠地とする企業です。そういう広がりの中で、若い人や女性、団体が表舞台に出てこられるように応援したり、コラボしたりという役割も道民会議が果たしていければと思います。
【阿部】:道民会議の応援は本当に大事ですね。今回のナチュの森さんの素晴らしい取組は、まさに企業によるユネスコ世界遺産教育の実践でした。
世界遺産はただ世界中の凄いものを集めるのではなく、世界の誰もが安心、安全に暮らせる国際社会の実現に向けて取り組むユネスコの平和教育のためにあります。ですから、今回で終わるのではなく、次々にバトンをつなぎながら、縄文世界遺産の真の価値が拡がっていくようになれば良いですね。その繋ぎ役を担うのも、道民会議のミッションなのかもしれません。世界遺産は大きなゴールでしたが、新たなスタートラインでもあるのですから。 (札幌大学にて)